思考・マインド

 アンチの取説。

今年いただいた厳しいお言葉

たくさんの温かいコメントをいただき、成仏されたような気持ちです。

みなさま本当にありがとうございます。

実は、投稿にするにあたって、言葉をソフト加工しています。本当はもっと尖った表現や、意地悪だな〜という表現もありました。

発信でもしていない限り、ここまでストレートな表現が生まれることは稀なのかもしれませんが、アンチコメントに向き合うときに心がけていることは、みなさんの日頃の人間関係にも置き換えることができるはずです。

かなり癖つよですが、ますみ流・アンチの取説をご紹介します。

全て私の手に委ねられている。

相手のせいにすることは簡単だけど

全てが相手のせいならば、解決する方法も相手に委ねられていることになる。

「相手のせい」の裏側には「わたしは悪くない」が隠れています。

対人関係において、相手のせいにしたくなったときは、相手というより「わたしは悪くない」の方をなんとかしたほうがいい。

だから、わたしは本当に悪くないことを納得するまで突き詰めて考えることに時間を割きます。仮に、わたしにも原因がある場合も、気がつけてよかったし、繰り返さないための対策を練ることもできます。

相手のせいにするのは簡単だけど、相手に未来が委ねられていることになる。

自己を見つめ直す機会と捉えれば、相手なんて関係なし。幸せは自分の手の中にあるということです。

同じレベルで応戦しない。

不快なことをされたとき、同じくらいの不快で返そうか。または、似たような経験で返そうかなどと考えがちです。

どうしてそう思うのか。それは、不快になったとき、幸せを奪われたような、何か大切なものを失ったかのような気持ちになるから。

だから、相手から何かを奪って、それで自分の心を穴埋めしようとしているのです。

では、それは真実なのでしょうか。

わたしが出した答えは、量子力学にありました。これは、長くなるため割愛しますが、とても簡単に言うと、わたしが何もしなくても、相手は同じことを経験するから、何もしなくていい。

そして、本当の被害は、不快な出来事にとどまり続けること

不快な出来事に見舞われる理由は、ヨガのカルマの法則で答えを出しました。これも割愛しますが、わたしも過去に誰かを傷つけたことがあり、それが巡ってきて経験をしたと考えています。

だからこそ、とどまり続けるほど、また近い将来同じことを経験し続ける状況を自ら生み出すわけです。

では、本当の意味でどうやってその状況から抜け出すのか。意思で忘れることはできません。

そこで、幸せを願って、別れるということをしています。

憎しみを持ったまま、相手を忘れることはできません。嫌いでいるということは、心の中に何度も存在として現れるということです。

わたしはその時間を、心から愛する人に使いたいので、不快を感じたり、仲良くできないと感じると、すぐに「お幸せに。さようなら」と心の中でおまじないのごとく唱えてお別れをします。

わたしに対する接し方は、わたし限定ではなくて、その人は周囲に対しても同じようにコミュニケーションをしています。

周囲はその人と同じ振動数の人々で構成されますので、わたしが望む「幸せな環境」とは違うところで生きていることは確か。

それがいいか悪いかは、本人の自由ですが、交わり続ける必要がないことも確か。

幸せを願って、さようなら。

参考になったかは不明ですが、聖人のように振る舞う必要もなければ、真正面から闘う必要もないということを、お伝えしたかったのです。

しなやかな自己中で、生きていきましょう。では。