次男のホロホロ日記。

子への欲を手放す。

わたしはとても強欲に生きてきて、それが20代、汚部屋として顕在化された。

根本的に持ち物を減らし、半永久的に少なく暮らし続けるには、心の根底にある“貪り”という欲をなんとかしなくてはならない。

ミニマリストを志す片づけでは、ただ単に持ち物を捨てたのではなく、どちらかというと〝心重視〟の片づけだった。

あの片づけの中で、10代~20代に貪っていた欲は少しづつ整いつつあったのだけど、40代の扉を目前にした今、ある欲を手放す時期にさしかかっている。

子の幸せを願うと生まれる欲。

長男は生まれてすぐ、保育器に入ることになった。促進剤で初産にも関わらず数時間で生まれたことにより、肺に羊水が溜まりチアノーゼが頻発していた。

数日で良くなれば、体内に吸収されるなどして呼吸は安定するそうだが、脳に何らかの障害がある可能性も懸念された。

同時に黄疸の治療も始まり、20代前半だった私は、これまで感じたことのない不安で、大泣きした。相部屋だったので、声を押し殺して泣きながら、たったひとつのことを考えていた。

元気に育ってくれたら、それでいい。
とにかく元気でいてほしい。
健康でいてほしい。

もうそれ以外なにも望まないので、どうか長男が無事に帰ってきてくれますように。無宗教のくせに、たまらず神頼みをした。

その後、長男は呼吸が安定し、黄疸の症状もなくなって無事同室に帰ってきてくれた。あのときの安寧は忘れることができない。

徐々に、強欲に。

そんな経験から、1年、また1年と時が経つにつれて、幼稚園での立ち振る舞い、小学校での成績、食事のマナーなど、長男に対して厳しい目線を向けるようになっていた。

愛するがゆえ、幸せを願うがゆえ、あれこれ心配して口うるさくなっていた。

わたし自身が大人になってから、苦を多く経験したことが大きく、同じ想いをしてほしくないと思ったから。

とんだ間違いをしていた。

そもそも、私は未熟なまま30代を迎えて、紆余曲折あり汚部屋からミニマリストを志したのだけど、だからといって不幸だけの人生だったわけでもなく、そこで人生が決まったわけでもない。

全てが必要な経験だったのだ。今でも長男に対して、心配してしまうことはある。

でも今は、彼のことを信じている。だらしないところ、忘れっぽいところもあるけれど、そんなことは霞むくらいの猛烈なやさしさが魅力でもある。全て含めてまるっと愛してくれる人に囲まれて、生きて行く姿を信じている。

だから、細かいことは言わなくなった。今やっと、生まれてすぐに強烈に願った“彼が幸せならそれでいい”の境地に戻りつつある。

だが、新たな課題に差し掛かっていて・・・。

次男、毎朝保育園でホロホロ泣く。

最近いちばんしんどい瞬間。次男が毎朝保育園にて「ママとおうち帰る」とワンピースの裾を握りしめてホロホロと泣くのである。ここまで胸が締め付けられる出来事を、30代後半になっても経験するなんて。

愛する人に、とんでもない罰を与えているような感覚だ。ギュっと胸の奥を鷲掴みされた感覚を残したまま仕事を始める日々。

何が正解なのかわからない。「しんどいならば一緒に帰ろう。」「今日は思いっきり遊ぼうか!」そう言ってあげる方がいいのだろうか。

いや、そうすると「行きたくない」と言えば「行かなくてもいい」という習慣ができて、次男の心にもっと苦しみを増やすのではないだろうか。

わからない。わからない。

ホロホロ泣いている次男を教室の前で抱きしめながら

「みんなと同じスピードで支度できないことがあってもいいんだよ」
「ゆっくりご飯を食べて、1番最後になってもいいんだよ」
「うまくできないことがあってもいいんだよ」
「あなたのペースでいいんだよ」
「たくさんできていることもあるから、心配しなくていいんだよ」
「できないことは、悪いことじゃないんだよ。
 ママもたくさん、できないことがあるんだよ。ゆっくりでいいんだよ」

一生懸命説得しながら、わたしもホロホロと泣いていた。

次男へのメッセージは、私へのメッセージでもあったのだ。もうすぐ40歳。わたしもまだまだわからないこと、できないことがある。でも、それでいいじゃないか。一緒にこのまま「なんかうまくできないな」なところも抱きしめて生きていこう。

そう思ったときまたひとつ、子どもの幸せを願いながら膨らむ欲を手放せたような気がした。次男のホロホロ日記、ときどき書きます。では。